読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

TOEIC200点台だった文系大学生だった僕が時を経てイギリスの地元企業からワークビザをサポートしてもらうまでの軌跡

今まで住む国や仕事をコロコロ変えてきましたが、イギリスでTier2というワークビザをサポートしてもらいある程度落ち着きが見えたので、ブログを初めてみることにしました。(過去に作っては消しを繰り返してきたので、またそうなるかもしれませんが)

とりあえず今までの人生をざっと振り返ってみようかと思ったんですが、適当に生きてきたらいい感じに収まったというだけですので誰の参考にもならないと思います。(しかも5年後どうなるか不明)

大学生時代

僕の母校は微妙なレベル大学でした。

クラス分け目的だと思いますが、入学前にTOEICを強制的に受けさせられました。大学で実施されたのでTOEIC IP的な何かだったはず。本当に英語がダメだったので絶望した記憶があります。

もちろん点数は最悪。具体的な点数は忘れましたが200点台でした。240とかその辺だったかな?友達に見せて、「お前それやばいな」と言われたのを覚えています。ストレートだね。うん、今考えても200点台はやべぇよ。ランダム回答でももうちょっと行くわ。

大学は英語が必修だったので、かなり苦労しました。赤点はギリギリ取らなかったものの、基本的に英語の授業は苦痛でしたね。

ちなみに第二外国語で無駄にポルトガル語をとろうとして当時の友人と履修したところ、2、3回出て挫折してその後二度と出ることはありませんでした。テストは出たけど。単位はもちろん落としました。英語もできないのに「第二外国語」とか言ってる場合ではなかった。

新卒時代

某web屋さんにディレクターとして入社しました。

知識が全くなかったので、自主勉強したりセミナー行ったり先輩に教えてもらったりしながら知識をつけていきました。

この頃英語は全く使いませんでしたが、はてなブックマークとかいう当時最先端でナウかったサービスとかで業界人らしく情報収集をしていて、「海外の情報が遅れて日本に入ってくることが多いから、英語を使えたら情報のキャッチアップが早くなるだろうなぁ」という意識が芽生え始めたのが入社してから1年くらいの頃でした。

確かこの頃すでに英語記事をよく無言ブクマしてた気がします。英語学習記事無言ブクマ連合の走りと言っても過言ではないでしょう。

最初のフィリピン留学

入社してだいぶ経ってから「もっと制作の知識をつけたい」と思い退社。Webデザインの専門学校とかに通いたかったけど、お金がないので職業訓練校に通いました。

本当にレベルが初心者向けで、新しいことをあまり学べずほとんど無駄に終わりましたけど。

で、学校の行程が終わった後。

記憶が薄れ気味なのですが、前々からあった若干の英語への興味と、その頃微妙に話題になり始めていたフィリピン語学留学の話を元に「再就職する前に一度行っておくか」的な軽いノリで、1ヶ月のフィリピン留学を決めました。しっかり考え始めてから申し込むまで1ヶ月かかってなかったと思います。

実はこれが初海外。パスポートすら持ってなかったのでガチなやつです。今考えてもけっこうすごい勢いだったな……。

フィリピン留学の内容

勢いだけで決めた留学かと思いきや、最初の会社をやめてから英語を独学で学んでました。と言っても数冊参考書をやったレベルですが。

そんな脆弱な背景を元に挑んだフィリピン留学は……友達もできて小旅行もしてかなり楽しかったのですが、英語能力はかなり微妙な感じで終わりました。やっぱり1ヶ月じゃそんなに伸びない。ただ「意外といけるな」という感触もありました。

元々TOEIC200点台で、英語でロクに話したこともなかった僕が、曲がりなりにも英語が公用語の国で1ヶ月過ごしたわけです。ドラクエ5で言うと子供時代にレヌール城で大冒険した後に街へ帰ってきたレベルの話ですが、最初の一歩のインパクトはすごい。

 

f:id:looondooon:20160613053233j:plain フィリピンの海。子どもたちが普通に泳いでて手を振ってくれました。この写真は違うけど。

オーストラリアで最初にワーホリするまで

フィリピン留学の後は再就職。フィリピン留学で英語に目覚め始めた僕は、30手前までその会社で働いてギリギリでワーホリに行こうと思っていました。やっぱ手に職じゃん?

しかしその会社の仕事内容とか社長とかに不満があり試用期間中に退職。「なんか辞めちゃったし、もうワーホリいっちゃうか!?」(謎)という軽いノリでオーストラリア行きを決意。

お金がなかったので半年ほどIT企業でバイトをして資金を貯めました。が、英語力が足りない自覚があったので、再度フィリピン留学をしてからオーストラリアに渡る決断をします。

フィリピン留学(2年ぶり2回目)

そんなわけで2回目。前回とは違う学校で2ヶ月。2ヶ月にしたのは前回と合わせて合計3ヶ月だったから。やっぱ最低でも3ヶ月って言われてましたからね。っていうのは嘘で単純に金がなかったからです。

日本で虫歯治療を中途半端にして来た関係で奥歯の神経が痛み出し寝れない状態になりフィリピンの歯医者で神経を抜きセラミック歯を入れてもらう(なぜなら保険がきかないから)というメタルスライムに会うくらい低確率な事案に遭遇し3万くらいの痛手を負いましたが僕は元気です。(詐欺にもあいかけたなぁ)

この2ヶ月はけっこう真面目に勉強しました。体感的には2ヶ月〜3ヶ月留学するとだいぶ違うと思います。1ヶ月で慣れて、その後伸びていく感覚ですかね。

で、オーストラリアでどこの街に行こうか迷ってたんですが、結局渡航費が一番安いという理由だけでパース(西オーストラリアの端っこにある街)に向かうことに。もっと前向きな理由はなかったのか。

オーストラリアワーホリ

というわけで、初ワーホリのパース。最初はパース駅周辺のユースホステルに泊まりながら仕事や家を探していました。フィリピンは経験してたものの、「海外に住む」というのは初めてだったのでかなりドキドキ。全てが手探りでした。

f:id:looondooon:20160614042626j:plainパースの街を流れる川。有料の船で渡れます。高くないよ。

語学学校に通ったとはいえ日本人ワーホリのご多分に漏れず英語力が微妙だったので、オーストラリアでやれることはかなり限られました。

が、手持ちのカードで勝負するのがSAMURAIだ!ということで頑張った結果、オーストラリアで最終的にやったのは以下の3つ。

  • 小学校の日本語の授業アシスタント(ボランティア):週3回
  • 日本人経営の飲食店アルバイト:週3日
  • 中学校の日本語授業のアシスタント(ボランティア):週1回

週7って間違いじゃね?と思った方がいたら鋭い。間違いではございません。期間限定のワーホリだし、休んでたらもったいないからね。

飲食店アルバイト

これは日本人向けの掲示板に募集が出ていたのを見つけました。お客さんも従業員もほとんど外国人だったのでラッキーでした。

小学校の日本語授業アシスタント

ラーメン屋バイトが週3日だけだったので他のアルバイトを探そうと思っていたところに、これまた日本人向け掲示板で小学校のアシスタント授業を見つけたので、子ども好きだしと試しに行ってみることに。

※オーストラリアの学校では小学校から外国語の授業があります。いくつかある指定言語の中から学校が選択した外国語が、その学校の「外国語」の授業になります。LOTE(Language Other Than English)というやつです。

これがまーめちゃくちゃ楽しくて、その後オーストラリアを去るまで続けてました。子どもたちがだんだん仲良くなるとハグしに来てくれたりね、感動なんてもんじゃないですよ。最終日とか仲良かったクラスの子たちが集まって来て手紙を渡してくれたりして号泣したのも良い思い出です。このときの子たちのことは今ででも思い出しますし、この頃、「お金があってもう少し若かったら現地の学校で教員免許とってたのになー」と毎日考えてましたね。人生で一番楽しい時期でした。

余談ですが、最終日に学校から正式な(?)感謝状をいただきました。日本でももらったことないのに。

中学校の日本語授業アシスタント

最後の中学校のアシスタントはちょっと複雑。

まずチューター(家庭教師)募集掲示板に日本語教師やりますっていう投稿を載せました。経験がないことを正直に書いていたので、たいして問い合わせは来ませんでしたが、しばらくして1つだけ問い合わせがきました。こんな内容です。

  • 家の子に日本語を教えてほしい
  • お金は払わない
  • 代わりにディーナーをご馳走する

ようは有料家庭教師ではなく、ランゲージエクスチェンジのオファーです。

オージーに囲まれてまともな会話とか絶対無理やで……/(^o^)\と思ってたのですが、せっかくオーストラリアにきたのに怖がってばかりじゃいかんと大和魂を発揮しオファーを受けました。

しばらくは週1回のディナーと遊びのような授業を続けてたのですが、数ヶ月経った後に生徒の子から「学校の日本語の先生に話したら是非クラスに来て欲しいと言ってる」みたいなことを言われて、これまた悩みましたが前述の考え方で承諾しました。

その後、こちらも帰国までお世話になりました。

体育祭に参加させてもらったり、小学校にはいない日本語レベルが高い生徒と話したり、小学校とはまた違う体験ができてかなり面白かったです。

これからワーホリに行く人には、学校のボランティアはかなりオススメです。

日本人教師の会合?セミナー?みたいのに一緒させてもらったときに、ウチの先生の発表時にアシスタントとして紹介してもらったのですが、「ウチにも是非欲しい」という人がかなりいました。

子供好きな人は掲示板をチェックしたり、知り合いをつたったり、アレをアレしたりして機会を探してみると良いと思います。

その他

あとは

  • 語学学校の英語教師養成講座の練習用生徒として無料の模擬授業に週2とかで参加
  • 日英ランゲージエクスチェンジ(言語交換)のミートアップに出席
  • ランゲージエクスチェンジのパートナー(日本語喋り/学びたい英語話者)を探す
  • 逆に英語のランゲージエクスチェンジパートナーを探している人に「俺も英語勉強中なんだけど、ランゲージエクスチェンジじゃたいして話せないから日本人じゃない英語勉強者を探しているんだ。友達になろう。」みたいなメッセを送って非ネイティブで非日本人の友達を探す(日本人と英語話すのはなんか恥ずいから、英語じゃないと会話できない状況が欲しかった)

などなど、思いつくことは全部やりました。英語あんまりできなくても、やれることはけっこうあります。

f:id:looondooon:20160614044620j:plainパースの夜景。大陸の端っこですが、意外と都会です。

イギリスワーホリ第一期

オーストラリアの次は一時帰国を経てイギリスワーホリです。

イギリスのワーホリビザは抽選式で年に1000人しか取得できません。(現在の詳細は謎)オーストラリア在住時、特に行く気もないのに応募したところ当選してしまい、せっかく当選したから行くか、という軽い気持ちで渡航しました。適当すぎる。

最初の1ヶ月は家も仕事も定まらず、お金もあまりなく、天気も悪く、日本から持ってきてた風邪も治らなかったため、肉体的にも精神的にもかなり厳しかった記憶があります。

あと◯日仕事が見つからなかったら強制帰国だ!ってずっとTwitterでつぶやいてましたね。安いドーナツやマフィンにかなりお世話になりました。あとパスタ。ずっとペペロンチーノ食ってたな。

そんな暗黒期を抜けて、1ヶ月後にはなんとか日本食品屋のバイトを獲得。

ロンドンは最低賃金がクソ安い上に住居費が高いため、バイト近くのインド人大家一家が住む家でイスラム教徒のフランス人とルームシェアしてました。ハウスではなくルームシェア。それでも月250ポンド。(当時は日本円で5万円弱くらい)

イスラム教徒といえばお祈りです。彼はお祈りが日課のため、僕がネットしてる横で度々お祈りをしていました。お祈りするけど特に気にしなくていいよ、という優しい言葉をかけてくれましたが、横で呪文のような何かを散々呟かれて気にしないわけにはいかない状況に追い込まれてました。まぁいいんだけど。

一体何を唱えているのか知りたかったけど、なんとなく聞けなかったです。

f:id:looondooon:20160905101147j:plainイギリスと言えばのビッグ・ベン様

イギリスワーホリ第二期

最初に見つけたバイトでしばらく食いつないでいましたが、できればちゃんとした仕事につきたいという思いがあり、履歴書送ったりしてました。

数ヶ月後、その中でひっかかった現地企業の某社に入社することになります。

英語はこの時点でもあまり上手くはありませんでしたが、社会人経験と日本語能力、そして当時日本人が不足していたことからすごいギリギリ(想像だけどたぶん当たってる)で内定を獲得。恐らく他に日本人が応募していたらこんなにうまくいってかったと思うので、運が良かったなぁという印象。

ここでも英語力が不足していたのでかなり大変な思いをしました。実際、試用期間1ヶ月伸ばされたりしたし、英語力あげるための小宿題みたいのも出されてました。子供か。でも苦労の甲斐あって、数カ月後には正式登用となりました。

ここではパーマネントジョブ(日本で言う正社員的な立ち位置)で1年半程度働きました。

期間限定のビザでも正社員的に働けるのかとびっくりしましたね。日本ではどうだか知らないですけど。初年度にはボーナスももらえたのでありがたかったです。

ワーホリビザがきれそうな頃、ワークビザをサポートしてくれるという話ももらいましたが、政府が掲げる「ビザをサポートしても良い条件」がかなり厳しくなるのと、その話を受けて申し込みが急増し、一時的に支給の条件がかなり厳しくなるということがその後判明してお流れに。日本帰国確定。

実はそれを見越して日本でも就職活動していたので、特に支障はありませんでしたけど。

 

f:id:looondooon:20160905101342j:plainバーの店先の看板。「ビールの原料はホップ。ホップは植物。だからビールは野菜だ!」とのことです。お疲れ様です。

日本帰国

日本では久々のweb業界で働いていました。

飯はうまい、遊ぶところがたくさんある、洋服のセンスが5000倍良く物価が安い、店は遅くまで開いていると良いことばかりで、やっぱり日本最高でした。――労働時間を除いて。

その労働時間、web屋のご多分に漏れず、1日13時間以上とかそういうレベルでした。13時間ならまだ良い方で最盛期はもっとやってましたけど。

仕事自体は楽しかったのでそこまで辛いとは思いませんでしたが、ちょっとプライベートな理由とか将来を考えると色々厳しなというのがあり1年たたずに辞職。完全にquiterですね。申し訳ございません。

その後

仕事探さなきゃ!と思ってたんですが、イギリス時代にいた会社から「VISAやっぱり取れそうだから戻ってくる?」みたいな話をいただきまして、なんか俺の人生ほんとラッキーでできてるなと思いながら承諾。本当は海外のweb屋さんでやれたら良いなと思ってたんですが背に腹はかえられません。

ビザ取得自体は思ったより簡単に終わり、数週間後に日本にさよならを告げました。それからしばらく経ち、現在にいたります。

移り住んで良かったこととか

これは勤務先にもよると思いますが、ワークライフバランスがだいぶマシになりました。

日本では終電帰宅がデフォで帰宅後も仕事をするなんてことがザラでしたが、こちらでは定時帰りに全員が命をかけていますので残業があまりありません。

普通に帰れば18:30には家についてまったりできているので生活に余裕ができました。

とは言っても良いことと言えばそれくらいで、ほとんどの部分が日本のほうが優れています。

生活費がイギリスよりかからないし、前述のとおり飯はうまいし遊ぶ場所にも困らない。街や施設内は比較的綺麗で、店員さんはしっかりしているし交通機関も時間通りに動く。

それでもこっちの生活を取ったのは、仕事で1日(もしくは1週間)の大半を使ってしまったら、それらに何の価値もないと思ったからです。

実際日本では仕事に追われていてそんなに日本を楽しめませんでした。お金を使う機会や暇がないので、昼飯だけ豪華(と言っても1000円前後)にする毎日……。

独身ならまだいいけど、結婚することも考えると自分の時間はおろか家族との時間もとれなくなるので、それ考えるとイギリスの方がいっかな!というのが一番でかかったですね、はい。

逆に言うと残業があまりなく、安定した仕事に就けるのなら日本に戻りたいですw

とは言え、簡単に貰えるもんでもないビザをせっかくもらったので、これを何かに生かせたらいいなぁと思っています。

英語力

実は今も英語力はそんなに高くありません。オーストラリアでもイギリスでも勉強は続けてましたが、そこまでハードにはやってませんでした。

ただ先日、日本でTOEICを受けた際「やたら簡単だな!」と思ったのには自分でもかなり驚きました。っていうかちょっと笑った。これが数年間を海外で過ごした成果か……。

と言っても点数は740点だったのですが、試験対策をすればもう少しくらいなら簡単に上がりそうな印象でした。ちなみに日本にいたときは海外の方とも仕事をしていましたが、そこまで苦労はしませんでした。

為替

国民投票が決まる前からポンドがかなり弱くなっており、日本円換算した給料がかなり安くなっているのでEU離脱に投票したアレな人たちに対する怒りで年齢関係なく頭がハゲそうです。今日本円換算したらワープアみたいな感じなのでなんとかしたい。というかなんとかしろイギリス。

最後に

ビザをサポートしてもらうまで色々とありましたが、まぁとりあえずのところ安定してきました。◯年前はTOEIC200点の英語力だったのに、よくここまでたどり着いたもんだ。

ビザの期間は5年。

移民政策が日々厳しくなってくることを考えると、期間満了後もイギリスで働けるとは限りません。再転職やその他のチャンスなど、手繰れるものはなんでも手繰りよせて生きていきたいと思います。

 

※Twitterやってますというか、放置気味アカウントをブログ公開と共に更新頻度をあげようと思ってますのでよかったらフォローしてください!

twitter.com